第46回をふりかえって

「世田谷いち」2021年NO.369より


 2021年10月10日、私たちは、第46回雑居まつりを無事終えることができました。実行委員会を何回も重ねて開催した、これまでにない雑居まつり。その当日の様子をお伝えします。

 朝8時過ぎに行くと、すでに何人かが作業していました。今年は、舞台がありません。また作業の拠点となるプレハブも、大勢で運ぶ机や椅子もありません。でも、雑居まつり宣言の描かれているタペストリーがバスケットコートのフェンスに掲げられているのを見て、「あ、雑居まつりだ」と確認できました。
 雑居まつりは毎年100団体近くが羽根木公園にひしめきあいますが、今年は25団体。タペストリーの前を簡易のアピールコーナーにして、中央広場の周りと林の中に全部のお店が集まりました。さらに今年は飲食を扱う模擬店も中止。お昼になっても辺りにいいにおいはしてきません。でも、開始時間近くなると、広場にはわりと人が集まってきました。
「おお〜、元気だった?」
「わああ、来てくれたの!」
と声が飛び交い、雑居まつり名物のヒゲが杖をついて現れると「集合写真撮ろう!」と突然の撮影会に。広場の横断幕も、ステージプログラムの看板もないけれど、13時に『風鼓の会』の太鼓が鳴って、たった2時間だけの、第46回雑居まつりが始まりました。実行委員長の市川さんが、開催のよろこびを伝えてくれました。
 団体を一つひとつ、見に行きました。数が少ないので、お店とお店の間はわりとあいています。売り物がないので、どんな簡素なものになるかな…と予想していましたが、どのお店も、当日の午前中しか作業できない中いろいろと工夫して、自分たちの紹介写真や手書きの説明をめいっぱいパネルに貼り、手作りの資料やパンフレットを配って、活動をアピールしていました。

 『世田谷市民運動 いち』は、広島の高校生が描いた「原爆の絵」を紹介していました。『吉田屋』は、広島と長崎の平和宣言と首相(当時)のあいさつを印刷して配っていました。『生活クラブ』は、アピールコーナーで被爆者に聞き書きして作成した紙芝居を読み上げました。『グループ水俣』は、今もたたかい続ける水俣病の被害者について丁寧に説明してくれました。『普通学級で障害児を受けもつ担任と親の交流会』は、保坂区長にどんな子も共に生きようと思いを語っていました。
 私は、いつもより狭いまつりを1周して、これまでになく参加団体について知ることができました。誰もが、店の前をうろうろする私をつかまえては、自分たちの活動を一生懸命説明してくれます。今までもきっと団体の紹介はされていたのですが、美味しそうな食べ物につられてちゃんと聞いていなかったのだな…と反省しました。サンバパレードや、子どもたちが走り回るスタンプラリーや、どれを買おうか目移りしてしまうたくさんの商品はないけれども、雑居まつりの原点である「世田谷の福祉を発展させるために」「地域の問題を、地域住民の手で」「出会い、ふれあい、語り合い」をじっくりと味わいました。
 自分の住む街について考えよう。障がいをもつ人が住みやすい街にしよう。子どもたちを自由に遊ばせたい。誰かが困っていたら助けたい。平和って大事だよ。そんな、当たり前で大切なことを、当たり前だと教えてくれる、雑居まつりにはそんな人たちばかり集まるんですね。そんな祭り、やっぱりここにしかない。そのことを再確認することができたのです。

 今年の参加25という数字は、団体の思いの強さではありません。参加しないと決めた団体の中には、障がい者支援や訪問介護など、絶対に感染させられない利用者さんに日々接する人もいます。実行委員会では一緒に話し合いながらも、当日の参加に悩み、直前に断念した団体もありました。
 まつりに来られなかった人の中には、雑居まつりを心待ちにしていた方もいるでしょう。私がそうだったように。久しぶりに会った人とおしゃべりしたり、誰かといっしょにご飯を食べたり、たくさんの人と共同作業して一つのものを作り上げたり、そんな雑居まつりをきっと、楽しみにしていたと思うのです。会えなかった団体、会えなかった人の顔を思い浮かべ、来年こそは会えるといいなと思いました。

 時間を変更してまで毎週のように開かれた実行委員会では、参加を迷っている小さな声に、良い案を提案することはできませんでした。まつりでの飲食と模擬店については、何度話し合っても意見が一致せず、最後は多数決で決定することになりました。そのことは、大きな問題に対抗するために一つになってまとまることが、どれだけ難しいかを物語っているようでした。それでも、答えのなかなか出ない話し合いも含めてこれだけ実行委員の声を聞き、たくさんの案が提示されたことは、次の雑居まつりへつながる財産だと思っています。
 「雑居まつりをどうするべきか、この話し合いだけでは時間が足りない。開催するしないに関わらず、私たちはこれからも話し合うべきだ」という意見がありました。本当にそうだ、と思います。ひとつひとつ、問題を解決するために、来年も引き続き顔を合わせて話し合っていかなければと感じています。

 雑居まつりとはどんな場なのか、雑居まつりの原点をなくさないために私たちは何をしたらよいのか。その宿題を抱えて、来年の雑居まつりでまたお会いしましょう。